2014/06/22

闘病生活 発病から入院まで 5/30~6/6

☆ん?

5月が終わろうとしていた。
6月頭が会議でシステムの変更があって…スケジュールは決まっていた。
思えば、こんなことでもなければ仕事を休むことなんてなかったかもしれない。
発病一週間前
やたら頭痛がして肩はパンパンに張り左顔面の目の下も異様に痛かった。
今思えはこの時からなんだと思う。
でも頭痛程度はあるし、マッサージでもして来よう。主任にもらった湿布を貼って対処。
いつものように安倍川河川敷の自転車道を走ってた通勤途中、目の中に粟粒のような火山灰みたいな黒点がいっぱい現れた。
ん?何じゃこれは?
明らかに飛蚊症のような糸くずとは違っていた。
でもその時は、それほど気にしてなかった。
翌日は昨日よりさらに黒点が増えたみたいだったが、それでもまだ見えてたので仕事をしていた。
マッサージに鍼もしてもらった。
3日目の金曜日、眼科に行く。
職場の人は眼科ならやれどこが良い、あそこにしろとかいろいろ言ってくれたが、人気の医院は予約取るのも大変そうだったので、近所で息子がかかったことのあるE眼科にした。
検査に時間がかかりそうだったので金曜日職場の人とランチの後、半休で眼科へ。



☆入院?この私が?

眼科ではひととおりの検査の他に眼底検査も行われた。午後イチで行ったのに、結局最後まで残されてくだされた診断は
(左急性網膜壊死の疑い)
説明されても何のことか理解できなかった。
網膜剥離でもないと言うし
分かったのはほっとけば3日で失明するとおどかされたこと。
先生はかなり焦っていた。金曜日なので休み前に何としても病院に入院させたかったのだろう。
すぐに紹介状を書くから、と。
それでも私はまだピンと来なくて、紹介状と言われても、浜松医大とか紹介されても困るしな、手術とかするのかなとかぼんやり考えていた。

「あんた何で来たの?」
「自転車ですけど」
「間に合わないからタクシーで行って!市立病院!」
「先生、どうなるですか?手術ですか?」
「点滴!」
は?点滴?
ポカ?ン


タクシーで病院着くと、時間はすでに5時すぎていたが、電話でやりとりは済んでいたようで、再び簡単な検査をしてそのまま入院となった。
なんと仕事帰りに家も帰らず、そのまま病室へ。

急いで息子に連絡して着替えを適当に持ってくるように、あと自転車の撤収を頼んで、その日の夜から点滴が始まった。
目薬が日に四回
3種類の目薬は5分経ってから次のを、と指示された。

この時はもう目の中は赤茶色の砂嵐でいっぱいで体も口も元気だったが、左目だけはどうしようもない状態だった。

その夜は暑くてあまり眠れなかった。微熱と目の奥と頭の痛みがあった。
入院なんて初めてなので休みとか時間のきまりも分からず、病院内のことも知らなかったので、とりあえず見えない目で探索することにした。

翌日土曜日は病院はお休みなのだけど、先生が朝診察に来られた。
診察部屋は病室のすぐ向かいにあっていちいち眼科の外来まで出向かなくて済むようになっている。
見えないのでトイレも近くて助かる。
休みにもかかわらず、先生は夕方にも診察に来られた。
月曜日は硝子体の組織を採ってウイルスの種類を調べるそうだ。
手術と言っても検査のための手術
まだ病名が特定できたわけではない。

探索といっても、一日3回は点滴なので、あと目薬や食事の時間が決まってるので、合間を見て院内ウォーク

11階に眺望の良い喫茶、売店があってそこにあった健康雑誌に手もみが万病に効く、とあった。
早速歩きながら常に指を揉むことにする。

散瞳の目薬もさしてるので、ほとんど見えない。
メガネでようやっとぼんやり歩く。

日曜日も先生はやって来た。
本当に熱心だ。
どうも私だけ特別らしい。
申し訳ないような気持ちになる。
それだけ時間の経過で様子が変わってくるからだろう。
看護師さんも入れ替わるたびに様子をききにくる


☆まだ点滴

月曜日の硝子体の手術は午後から

手術着に替え五階の手術室へ。
工場みたいな扉をいくつも抜けて四つ目の手術室に 先生は待機していた。炎症を起こしてるので指で触られるだけでも痛い。消毒して麻酔
まぶたはテープと器具で固定される。布を掛けられて片目だけになる。トロトロの水で常に潤っているので痛みはない。
音楽がかかっていた。未来予想図
リラックスしてるので、怖いこともない。
手術は針を二箇所に刺し硝子体を2cc採取
採取のときトランペットが鳴るような結構ふざけた音がした。
溶ける糸で縛るそうだが糸がかからなかったとかでそのままにされた。
傷はすぐ塞がるので特に問題はないようだ。
採取したブツは検体に出すようで、保存方法とか発注伝票をどうするかというやりとりが聞こえた。

手術室を出ると次の手術の人が待っていた。
痛くなかったか、怖くなかったか聞かれたけど、大丈夫ですよと笑顔で答えられた。

検体は先生が帰りに冷蔵庫から持ち出し外部機関に検査を依頼するということで結果が出るまで一週間ほどかかるらしい。

結果を待ってからだと治療が遅れる可能性があるけど大丈夫か?

先生にはある程度の目星はついてたようで、病変の進行と今後の網膜剥離を抑えるため、翌日火曜日 続いてレーザー光凝固の手術が行われた。

レーザーは外来でできるようで眼科外来の機械で十分ほどで終わった。
バチバチとそれこそ敵の襲撃をかわすがごとく次次と病巣を潰していった。

水曜日ウイルスの正体が判明する。
帯状疱疹ヘルペスウイルス
通常の一万倍ものウイルスが暴れてるそうだ。
この病気に対して多いのか少ないのかわからない。

予想どおりだったようで、そのまま点滴を続けることになった。

発病からすでに一週間
息子はネットの情報で早くステロイド使えよと焦っていた。



☆正念場

翌日からいよいよステロイドの飲み薬が追加された。

その時は分からなかったが、どうやらいろいろ副作用があるみたいで、この後だんだんそれを知ることになる。
先生はそれを承知の上で、タイミングをはかっていたのだと思う。

そこから週末までは目まぐるしく状況が変わっていった。時間帯によって全く真っ白で何も見えなくなったりした。

いよいよ失明か…
大沢たかお主演の解夏そのままの気分だった。
主人公はベーチェット病でだんだん失明していくのだけど、そこまでの過程は丁度坊さんが夏の間苦しい修業を積んでいくのに似ている。
しかし夏が終わり修業が明けた時はその苦しみから解放される。
すなわち主人公が失明してしまえばそこで修業は終わると、諭されるのである。

いやだ、私は納得できない。
まだ見たい景色がある。やりたいこともある。
そんな達観した気分になどなれなかった。

見えない目で相変わらず院内を徘徊し、シャワーも借りた。シャンプーなどのアメニティはなく表示が分からなかったがハンドソープらしきもので洗髪した。

洗濯もマメにしたので、着替えの半分は結局そのまま持ち帰ってもらった。

そんな中、一緒にいる病室の人はかなり大変な人もいた。糖尿病で合併症があるとか、一日に七回も血糖値をはかり指にパチンと穴を開けるみたいで痛そうだしインシュリン打つとか、退院に向けて講習があり内容を理解したか何度も確認されたり、看護師さんの手をかなり煩わせていた。
あるいは今回は白内障の手術だけど、すでに飲んでる薬が多すぎて自分で把握できないとか、障害者で目薬が自分でさせないなんて人もいた。

それでも白内障の人は手術が成功し
こんなに見えるようになるんだったらもっと早くやれば良かった。
嫌だよ~自分のシワもはっきり見えるわ^_^
家のゴミも見えすぎちゃってこまるわね~なんて言いながら、キャピキャピしながら退院していった。
いいなあ~みんなはっきり見えるようになって
私どよ~ん

ようやっと花が見えるように・・
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コメント

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妻が網膜剥離した時と似てます。
あの時も大変でした。
お大事に。

mcberryさんの奥様もでしたか・・・
1年にひとり程度ということなので、そんなに頻出する病気ではないようですが、さぞ大変だったのではないかとお察しいたします。

その後奥様はいかがですか?

おかげさまで、ちょっと見えにくいようですが
ピンピンしてます。

桐沢型ぶどう膜炎。私もVZV帯状疱疹のほうでした。

私も今年の2月に右急性網膜壊死にかかり同じ経過を辿りました。明日から3度目の手術で入院します。残念なことに剥離してしまったのでまた一度抜いたシリコンオイルをまた注入します。数少ない病気ですがお互い頑張りましょうね!ちなみに2歳児と1歳児の母で厄年の32歳です。