2012/06/30

介護物語

3月よりずっと母の介護が続いています。

ひと頃よりだいぶ落ち着いてきたとはいえ、まだまだ波があり、週末になると不穏状態
他に誰もいない母の部屋からは ずっと母の話し声が・・
相手は昔住んでたところの近所の知り合いとか、姪っ子だったり

どうやら私への不満をその人たちにヒソヒソ話してる様子(- -#

最初はイラついて
「誰と話してるのっ!」と声を荒げたりしてたんだけど、そうすると逆ギレして悪態をつくわ、そのうち過剰反応で「殺される!」とか言い出して、いつの間にか布団の下に隠してあった傘を取り出して反撃してくるわ、裁ちばさみを持ち出すわって始末

時には男が憑依して、「テメエ」だの「そんなとかぁ(所は)行かねぇよ!」だの
声色も うあ出たぁ~!!エクソシスト!(@@;)な状態
傘で反撃してくるときは異常に敏捷になり、まるでヨーダが乗り移ったかのようです。

それからは傘はすべて片付けました。
するとあろうことか、傘立てに入れておいた自転車の空気入れで今度は反撃してきたのです。
おお!空気入れまで武器にしたよ。 私はちょっと感激しました。

で、またある日 母が私の注意、叱責に大して激しく怒り出したので、来るな、と思った私は母が空気入れを取り出す前に先に取り出し
「へぇ~ またこうして私に抵抗するの!?」 おらおら とばかりに空気入れを突き出してやったら、さすがに呆気にとられてました。


はい、今こうして客観的に映画的に見ると、あるいは芝居としてみるとかなり面白いです。が、現実です。

デイサービスの時間が迫ってくるともうドキドキ。
着替えさせてもいつの間にか寝巻きになってしまってたり、ある時はボンヤリ、ある時は激しく抵抗したりで送り出しも大変なので、向こうの担当にお任せすることにしました。
最初は看護士さんとお世話してくれる女性がお迎えに来てたのですが、いつの間にか母の担当は屈強なおじさんに取って変わりました。
女性ではとても手に負えないと判断したようです。

そのうち抵抗しても、ハイハイ行きますよ!と半ば強制的に連行されるようになりました。

母に罪はありません。

時々家におみやげを持って話し相手に来てくれた姪っ子、圧迫骨折で寝込んでる時にやさしく面倒を見てくれた孫娘、何くれとなく声を掛けてくれ楽しく世間話をした近所のおかみさんはもういません。
家ではめんどくさそうにしか返事をしない娘。さびしくてつい妄想から
「あの子(孫娘)が牛丼やで待ってるから」と向かいのすき家に脱走してしまうのもムリはないのかもしれません。

ある時は窓の外にイスと私の自転車用ヘルメット、スリッパが捨てられて(置かれて?)いました。
雨の日だったので、すべてビショビショ
あまりのことに怒りを通り越して情けなくなってきましたが、後で考えるとこれも地震か誰かが追いかけて来るという妄想から私を窓から避難させようとしたのかもしれません。

その行動力たるや認知症とはいえまさに恐るべし。
そりゃぁそうだ
戦時中、静岡空襲で大勢の人が安倍川に避難していく中、母は焼夷弾の中をすり抜け、たったひとり小路を走って助かったそうです。
母の青春時代は戦争で終わってしまったので、つまらなかった。だからこうして今いろいろ買い物するのが楽しみで・・と毎週デパートに私を連れまわしオシャレをして、好きな陶磁器なんかを集めたりしてたのに、すっかり今はそれも忘れてしまったようです。

今母はデイは全然楽しくない、と言いながらも唯一ボール遊びだけはハマッたようです。
小さいときはドッチボールなんかもしたことでしょう。
ボールに触るなんてたぶん60年?いや70年ぶりかもしれません。

今のうちに少しでも意識のあるうちに人間らしく生活して欲しいと思います。
幸い、薬が効いてるようでおかしな状態はだいぶ改善されました。
本人は病気という自覚はないので薬に対して不信感を持っています。

そのことについてはまた今度・・




 
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