2009/07/25

ボタニカルな日々

最近‘いとうせいこう’にハマっている。
ぶっきら棒なのか繊細なのか良く分からないところがいい。

植物に対する熱中度がハンパでないところがステキだし、
熱中するあまり妄想が果てしなく広がっていくところも、面白くてタマらない。

こういう人がきだ
好きになりすぎて、元奥さんと女のお子さんにまで嫉妬してしまった。(どうやらいとうさんチは園芸一家らしく、母上からお子さんまで植物に詳しいらしい)

だけど、たぶんこの人がベランダで植木をあっちにやりこっちに動かし、ハサミを駆使したり、肥料をやったりアンプルをさしたりしてるのを見たら、きっと不気味に思うかもしれない。

例えば夕方、どこの家も水をまいたり、芝をチョキチョキハサミで刈っていたり、花の手入れをしてたりするのだけど、大抵その家に住むお母さんだったり、おばあちゃんだったりする。
家事の合間のひとりだけの時間が、ちょっとだけあって
日が暮れるまでには時間があって、まだ誰も帰ってきていなくて
それはつかの間の平和なひとときであったり風景だったりするんだけど、これがこと男の人となると事情が違ってくる。

ハサミを持って庭に出てるだけで、ちょっとギクッとしてしまう。
明らかに剪定でもするのは分かってるんだけど、一瞬「うっ」として引いてしまう。
そこの家の庭を通り過ぎるだけなのに、通り過ぎるまで緊張が走っていて、ビクビクしてしまうのだ。
心の中では(どれを切るつもりだろう。何を混ぜるんだろう。今度は何を植えるんだろう。)と、気が気ではない。

こんなのはたぶん私だけだろう。

なんていうか殺気を感じてしまうのだ。
植物が痛めつけられてるのか可愛がられてるのか分からなくなってしまう。
きっと自分がその家の花にでもなったような気がするのかもしれない。

しかも作業してるときは、心は花の側にしか向いてなくて、つまり内向きになってるので、よけい声をかけにくかったりする。
近所で向かいでやっぱり花の手入れなんかをしてるお宅があってもお互いに声をかけずに、恥ずかしくなってそそくさと家に入ってしまう。
普段はぜんぜんそんなことないのに、なぜにそういうときは人格が変わるのだろう。
不思議だ。
ボタニカル・ライフ―植物生活ボタニカル・ライフ―植物生活
(1999/03)
いとう せいこう

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